ミニマルなチーム

僕たちが最上級生のチームが始まった。最後の夏へ向かうチームだ。

僕は中学に続きキャプテンに就任した。このチームは初めから問題があった。僕の代の部員が9人、下の学年が2人計11人という超ミニマルな部員構成でスタートした。しかも、僕と数人を除いて試合経験も少なかった。中学の時も部員13人くらいの時を経験しているが、試合になると皆ランナーコーチに交代で出ないといけないし、ポジションの変えも効かない怪我はできない。公式戦のボールボーイやスコアボードの係は相手高校に頼むか他の高校から頼まなければいけなかった。しかし、チームは好調な出だしだった。試合に行っても大崩れせずにそこそこの試合をこなしうまく勝つ試合もあった。人数が少ないと部員同士の絆がチームの士気にも反映される。僕たちはほとんど完全な一枚岩だったと思う。中学からすでに5年以上いっしょに過ごしているし、それがこのチームの大きな武器となっていた。

僕はこのチームではもちろん主軸を打っていたが、ポジションは本当に流動的だった。チームとしてベストのポジションを守るユーティリティーにこなしていた。おそらくぶっつけで初めて守ったセカンドを含めて全ポジションで試合に出たと思う。肘は痛かったけどピッチャーをやった事もある。充実した時期だった。

新人戦 - 再戦 - 

新人戦の対戦相手が決まった。相手は一ヶ月前に17-0でコールド負けした高砂南高校だった。兵庫県の160校あまりの中から10数校しかない同じ地域の高校を引くのもそれなりに珍しい事だが、同じ地区から続けて同じ高校を引くのは確率的に結構珍しい。僕には嫌な感じはなかった。高砂南の印象はほとんど残っていなかったからかもしれない。特に意識する事なく試合に臨んだ。もちろんリベンジという意識がなかったわけではないけれど、それよりチームを引っ張っていく事に集中していたからだ。

この大会僕は背番号3を着けていた。つまりファーストがレギュラーポジションだった。ファーストミットつけるのは好きだったし、守備は結構楽しかった。しかし、この試合僕はショートでスタメンに名前を連ねた。ちなみに練習で何度かノックを受けたことはあるがちゃんと守るのは中学以来だったかもしれない。それくらいぶっつけだった。この日エースは肘痛(肩かもしれない)で投げられないという事で急遽ショートを守っていた二番手の投手が先発する事になったからだ(本来ならピッチャーとショートが入れ替わる布陣)。しかも、レギュラーの内野手の一人が怪我(のちに肉離れと判明)して試合に出られず、一つ下の部員の一人が家の用事で試合に参加出来なかった。背番号は11まで配っているが、実質8人とまともに投げられないやつが一人と、まさに万事休すのスクランブルで試合を迎えた。

でも、僕は試合前から手応えはあった。試合前のアップの時高砂南のメンバーとすれ違った。向こうは三年生がいなくなっても50人以上の大所帯で、こちらはバッテリーは別メニューで一人怪我だから7人だ。一人はキャッチボールもままならない。数が集まらなかった草野球みたいな風情でアップをしていると明らかに向こうに油断の表情が見て取れた。僕はあえてその日はキャプテンとして声出してキビキビやろうという指示はしなかった。大所帯なら規律は必ず必要だと思うがこの人数で気心しれたメンバーなら今更何も言う事はないと思った。監督も同じ考えだったらしく試合前のノックもワザとゆっくりだらだらやったらしい。

しかし、相手全員、高砂球場の父兄はじめとした観客みんなが一ヶ月前の再来、それ以上の結果を確信し始めた時、そうではない男が一人いる事を僕は知っていた。そのムードが盛り上がれば盛り上がるほどに。高砂南のキャプテンで主戦だった彼だ(名前は忘れてしまった)。彼は中学の松陽中学壮行試合の為の高砂選抜チームで一度一緒にやった事がある。荒井中学のエースだった。僕の世代のチームは何度か市内の強豪中学を倒し例年になく周りの中学を苦しめていたので高砂市内の野球部には嫌な印象があったはずだ。アップの時もチラチラと僕の顔を見ていた。彼とは試合前のメンバー交換で握手をした。僕は自信満々で上から目線で彼を見た。彼は緊張していて気後れしているのが見て取れた。彼は中学選抜の練習で僕が周りのツワモノ達と遜色なく打ちまくり、試合もスタメンで出た事を覚えていたはずだ。今思えば彼には気の毒で仕方ないがこれも勝負の綾だろう。僕たちは最高の準備をして臨めたわけだ。下準備だけで勝てない事も多いが。

試合が始まった。僕らは後攻だった。まず審判を確認した。あの審判はいない。一安心。うちのピッチャーは調子がよかった。あんなにカーブが曲がっていたのは後にも先にもこの試合がベストのような気がする。試合が始まる。やっぱりチーム初の公式戦だし相手の応援の声も大きい。経験の少ないチームだし不慣れなポジションを守っている部員もいる(実は自分も)。僕以外チーム全体に緊張が漂っていた。僕はピッチャーが投げる度にチーム全体を見回し全員に声をかけた。

先頭打者。一球投げる度に周りに声をかけた。うまく追いこんだら相手打者がカーブを引っ掛けた。僕の正面にボールが飛んできた。びびった。人に気を使いすぎて自分の準備を全くしてなかった。びっくりしてなんでもない正面のゴロを弾き暴投した。僕はやってしまったと思った。けれど、これもこの試合にとって大きなプレーだった。後から聞くとこのプレーでこちらの緊張がほぐれ、逆に向こうは更に楽勝ムードが漂った。次の打者は手堅くバントだった。しかし、打者はうちのピッチャーの球威に押されてなかなか決まらない。うちとしてはバントは確実にアウトが取れるからありがたい。結局ツーアウト二塁で相手のクリーンナップを迎えた。相手打者がうまくあわせて右中間方向にライナーを打った。僕はやばい、と思った。ほとんど試合に出たことがないような1年生が守っていたからだ。この試合センターにはレフトフライもライトフライも出来るだけ獲れと言っていたくらいだ。実際僕はセカンドフライまではとった。しかし彼は取った。普通の選手ならほぼ正面のライナーのような打球だが、僕は奇跡のようにも思えた。ちゃんと練習してるから当たり前なんだが、あいつのグラブにボールが収まる瞬間を未だに覚えているくらい僕の野球人生にとっては意味のあるプレーだ(次の日は同じようなところに飛んで落としやがった)。

その裏の攻撃、いきなりチャンスで僕に回ってきた。僕はいつも以上に時間をかけて余裕をかまして打席に入った。相手ピッチャーはすでに追いつめられた顔をしている。僕は勝ったと直感した。初球外角のいいまっすぐだった。続いて変化球はボール。悪いボールではないが十分に対応できると感じた。相手バッテリーはここでインコースをせめてきた。そんなに悪いコースではなかったと思う。しかし、僕はこのコースを左中間に打ち返すのが得意だ。僕はいつも通りのバッティングで先制2点タイムリーを放った。これで完全に球場の雰囲気を一変させた。あとはピッチャーの頑張りに尽きる。序盤に最高のスタートを切ってその優位を終盤まで守り抜いた。最後は一点差で2アウト満塁だった(しかも2-3までいったんじゃなかったか)。最後のカーブを打者が見送った。祈るような思いで審判を見た。際どいコース。そして、審判の手が上がりストライクスリーがコールされた。僕は空を見上げた。少し日は下がっていた。スタンドを見た。父も母もすぐにみつかった。帰省していた兄もいた。中学の時の顧問もいた気がする。人には記憶にも記録にも残らないただの一勝だが、僕には何物にも変えがたい大きな価値のある一勝だ。涙もない、充実感と疲労感と安堵感だけがその瞬間を包み込んだ。

二回戦はなぜか次の日に予定されていて、僕らは満身創痍もいいところで敢え無く東播工業に破れた。この日程はいかがなものかと思ったけれど、どのみちあのチーム状態では長くは続かなかったと思うけれど少し残念だ。

後期補修あたりから中学三年が練習に参加してくるのでひとまず部員不足は解消された。しかも、その世代は中学でも結果を残した世代でうまいやつが結構いた。何人かは彼らにレギュラーを奪われてしまったけれど、僕たちの世代は最後まで9人で戦えた。それは本当に嬉しい。

最後の夏と終わり

これから先はここでは書ききれない程の思い出と様々な青い思いが沢山ある。結局最後はショートを守る事になった事。監督が生徒指導部長になって忙しく練習に出てこれない日が続いた事に対する葛藤。そこでもっとやれたという思いもあるし、その後怪我して試合を休んだ時期があり、バッティングを変えたら開眼したのでもっと野球がしたかった思い。実は三年間で自分の最後の大会が一番印象が薄い。対戦高校すらパッと出てこない。完全に不完全燃焼だった。なぜだろう。わからないし後悔もない。試合の後終わった、という感想しかなかった。すぐに受験も待ち構えていた。あの夏は全ての事にあの時の自分なりにベストを尽くした。けれど全てが不完全燃焼だった。人生は仕組まれたようにうまくいかない時もあるように思う。

高校野球おいて僕はなんの結果を残せなかった(当然?)。でも、僕には宝物が残っている。監督、高見先生への感謝と父、母と共に高校野球を過ごした濃密な時間だ。僕は人生を見失ってどん底で空っぽな時に陥った事もある。僕の生き方を誰も肯定しなかったとしてもそれはもっともだ。クズと蔑まれて、お荷物と呼ばれる事さえあった。嫌な人間に当たる事もあった。これからもあるだろう。でも、僕はギリギリのところで道を踏み外さなかった。そんな僕も人生経験を経て最近やっと本当に人を愛するとはどういう事なのかわかってきた。それは僕の誇りで思えば僕はその愛の種をこの時の父と母にもらっていたのだ。この感謝と愛をどのように表現したらいいのだろう。

高見先生は本当に好きだw 尊敬とは言いたくないけれど(言えよ)、これほど感謝と恩を感じる人は人生で数人しかいない。先生からは世の中本音も建前も両方大事だという事を学んだ。このエピソードで高校野球編を終わりにしたい。

episode -文化祭、夕暮れと屋上のゴリ - 

僕が2年生の時の文化祭の事だ。僕は昨年に続きバンドで文化祭に出演した。当時僕の学校ではバンドするやつなんて不良(当時でさえ今時!と思ったよ)、落ちこぼれの集まりとされていたので教師の当たりはきつかった。たしかに一人を除いてみんなお世辞にも成績はよくなかった。素行も、、。まぁ、親や教師に反対されてやめれるのならバンドも野球も何もかもさっさとやめた方がいい。きっとそれは自分の人生ではなかったという事だろう。僕が中学の時ギターを買ったと学級日誌に書いたら色んな先生にチクリと言われたし、真摯にやめろと言ってくれた先生もいる。だけど僕にはギターを手放す事が自然な事だとは思えなかった。当時はそんなに熱心に練習していたわけではないけれど、いつでも手に届くところのギタースタンドに立てていた。知らない人もいるかもしれないけどギターは美しい工芸品でもあるのだ。

当時ゆずのヒットでアコギを持ってストリートで弾き語りをするというのが若者のトレンドだった。僕たちの友人もやってて結構人気あったのでそこに乗っかってバンドで文化祭に出ようという話になった。というわけで僕はベースで文化祭のステージに出演した。ゆずばっかり演ったのかな、あんまり覚えてない。とにかく僕らはイケメンと学校の人気者を集めたバンドだったので大成功と言えるくらい盛況だった。

僕たちは文化祭が終わってバンドの連中と校舎の前を歩いていた。「ぅホォーい、هاسيوا!!」僕たち野球部のDNAに刻まれた声が聞こえた。空を見た。違う。屋上だ。そこには校舎に施した文化祭の飾りを外しているゴ、高見先生の姿があった。「俺のつالطنين على المكتب持ってきてくれ!」「ァイ!」僕は返事を返すと下駄箱へ走っていた。監督の言葉にはなぜかYes、Sir! そしてダッシュ以外の反応が出来ない仕様になっている。不思議なものだ。屋上に行くと先生が一人作業をしていた。僕がとんかちを渡すと(野球部ならあれが机のうえのとんかちの事だとわかる)「おぉ、سانكو、سانكو」と受け取った(ほら正解)。

僕がさっさと立ち去ろうとすると先生が「どう هل んや?(どうやったんや?)」と言った。僕ははじめ何の事かわからなかった。僕が ? なリアクションをしていると。「バンドや」と先生は言った。僕は驚いた。バンドなんて一番野球の邪魔になるし僕はやばい成績でいつも監督には呼び出されていたし、何度かバンドに関してチクリと言われた事もあった。先生こそ反対派の急先鋒だと思っていたのでさっさと終わってよかったと思っているか、興味すらないと思っていた。

「うまくいきました」僕は言った。「そうか」とだけ先生は言った。

僕は屋上を後にした。小走りで消える僕の背中に何か言ったようだったけれど流石の僕も聞き取れなかった。そしてこっぱずかしかったので校舎の前を通らない反対側の道を通ってバンドの連中に合流した。僕は生きた真実の人生の中でかけられた数少ない肯定の言葉だった。その瞬間はわからなかったがこんなに嬉しい言葉はなかった。

このエピソードは僕の高校生活のハイライトだ。野球に真摯に向き合う中でバンド、勉強、教養を身につけた(先生には順番が違うと怒られそうだw)。すべての青春が詰まっている。大人になってみれば、たしかにギター(音楽)は身を滅ぼす。かける時間の割にリターンは自己満足くらいだ。のめり込むと死とこんにちはをする事になる。だから、僕は若者に軽々しくギターやれよ、音楽やれよ、なんて言えない。死ぬ覚悟あるならやれば、と言う。だから、中学の時、高校の時先生が僕を止めようとするのは当然だ。転ばぬ先の杖を与えてやるのは教育に携わる人間(学校に限定せず)の大きな役割だと思う。でも、若者がリスクを犯すのは必然だし、するべきだ。人間は論理的精神と感情的精神を共に成長させなければいけない。冷静に理知的であると同時に相手を理解し愛の深さを持つ事が本当に成熟した人間の姿だと思う。それはこの社会では本音と建前という形で現れたりする。監督が僕に接してくれたようにどっちも大事なのである。若い頃は理解出来ずに他人に失望したり、やりこめられた。今なら少しましな対応できるかもしれない。

高校野球は僕の礎になっているのは間違いない。素晴らしい時間と愛に溢れていたからだ。関わってくれた全ての人に感謝しか思い出せない。今でも夏になるとあの頃の夢をみる。

 

銀色や金色に輝くな。真っ白な光を放て。

学祭の時先輩のデュオ(特に仲良くなかったので名前も知りませんでしたw)が歌っていたオリジナルソングの歌詞なんだけど、それっぽいけど未だに理解できない。未だにこれは青春時代の謎として残っている。ホワイトホールって事?

 

読んでくれてありがとう。

僕はこう思う。

Taiyo Haze


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