アーサー・C・クラーク

ものすごく好きな作家やアーティストというのは数知れずいます。またその中で人生に影響を受けた作品やクリエイターも多くいます。それは僕の人生の活力になったり、指針になったり自分の人生を語る上でなくてはならない人達です。エリック・クラプトンは僕のアイドルだし、キース・リチャーズ、ピンク・フロイド、クリント・イーストウッド、マハリシ、イチローは常に僕の心の中心を彩っています。

しかし、僕の師匠、ジミ・ヘンドリクス、そしてこのアーサー・C・クラークだけは全く違う大きな意味を持ちます。

自分の人生において全く存在しなかったイマジネーションを与えてくれ、人生に自由と確信を与えてくれた人たちです。クラプトンやキースまでは色んな人に僕や音楽を理解してもらう為に語る事はありますが、この三人は僕から多くを語る事はあまりありません。軽々しく語って誤解を与えるのは一番したくないですし、その為には語る側も受け取る側にもタイミングと準備が必要です。

その中でアーサー・C・クラークだけは語ってもよい部分があるかなと思いました。それはアーサー・C・クラークが僕の中の理知と未来を啓発してくれたからです。これは今の時代必要とされているものなのではないかと感じています。SFの世界のようなガジェットが登場し、人類は図書館よりはるかに巨大な情報にいつでもアクセスできるようになりました。特に我々は情報に触れる度に自分を高度な存在だと思う傾向にあると思います。しかし、仕事は変化しましたが我々の振る舞いがここ20年で急に高度になったとはとても思えません。理知や慧恵の進化のスピードは平成元年と令和元年では大した差はないと思います。理知は自分が体験している感覚、感情に支配されず自分の取るべき行動を思考する視点を与えてくれます。人間はどんなに生活様式だけが便利になっても理知がなければ高度な野蛮人にすぎません。

そして、この理知に光を与えてくれる数少ない作家がアーサー・C・クラークなのです。

僕がアーサー・C・クラークに出会ったのは20代中頃の頃でした。兄の塾助っ人で国語の先公をやるかやらないかの時期で、それなら読んだ事ないジャンルの本でも読むか、と思って古本屋に行き、手に取ったのがSFの名作中の名作『2001年宇宙の旅』です。とっくに2001年は過ぎてましたし、昔英語の教科書で内容説明の英文を読んだ事があったので魅力はそんなに感じなかったのですが、未知のジャンルに飛び込む時はその道の大家からと決めているのでうってつけだと思いました。たまたま古本屋にアシモフやハインラインがなかったのは何かの縁かも知れません。

読み始めてびっくりしたのがこの本が出版されたのが60年代後半、ウッドストック以前、アポロ以前だった事です。スタンリー・キューブリックの映画用に書き下ろされた作品ですが、映画の公開も68年とまるでアポロ以前に先に月に行って見て来たような描写とイマジネーションに溢れています。最後にスターゲーイトを超えてスターチャイルドになるラストシーンの描写など、クラークにアセンションして来たのかと聞きたくなるほど真に迫っています。今ではAIと言っても誰の興味も惹かないくらい当たり前のものになっていますが、コンピューターすらなかった、ほとんど多くの電子部品がまだ真空管で作動していた時代に人工知能HAL9000が登場します。当時理解できていた人がどれくらいいたのか心配なるほど、ずば抜けた知性とイマジネーションを感じます。現在でも巷でAIと言われているものの大半はコマーシャル用にそう名付けているだけで、実際はただのネット検索とフィルタリングとキーワードマッチングの集積ということがほとんどです。息をするほど自然にテクノロジーや美しい楽観的な未来像を描写する。アーサー・C・クラークの手法にすっかり魅了された一冊です。喫茶店で時間を忘れて読み漁り、読了した足で続編を書いに出かけました。これほど心と感性がガツンやられて、血が沸騰して脳ミソがぶっ飛ぶ感じはまさにジミヘンのウッドストックのPurple Hazeでした。後にも先にもこんな本には出会っていません。読んでみ、飛ぶぞ。

映画も当時から賛否の嵐に晒され続けていますが、地球人が想像する宇宙文明のイメージを形作った意味でも価値のある映像作品だと思います。今見ても超然としたリアリティを感じる事ができるのは驚異の映画です。クラークのイメージや精緻な科学的な描写を芸術的な映像に落とし込むキューブリックの英知と才能は見事いうしかありません。キューブリックも大好きな映画監督の一人です。小説、映画とも神がかった未来描写とイマジネーションに溢れているので必見、必読の一冊です。

世の中には指折り数えることが出来ないほどのSF作家とSF作品に溢れかえっています。最後にその中でアーサー・C・クラークがなぜ他の作家と一線を画すのか僕なりの考えを述べたいと思います。グレッグ・イーガンのような科学論文みたいなごちゃごちゃしたものが読みたい一部のオタクの感性はここではスルーします。そういうハードSF好きの理系の人間からしたらぬるめのハードSFのジャンルになると思います。クラークの魅力はそんな近視眼的な見方をはるかに超越した知性にあります。そういう僕も読んだイーガンの作品数は作家別読了数Top5に入るほど好きです。たしかにアシモフもホーガンも他のハードSF系の作家の作品はどこかごちゃついた硬いイメージがあるのは確かです。あまり、文系の純文学好きそうな人にハードSFは勧めません。その中で『2001年宇宙の旅』や『幼年期の終わり』、『都市と星』あたりは万人に勧められるような気がします。クラークの作品には透き通った清々しいイメージを感じることができます。クラークが科学技術の解説員や科学解説エッセーなんかもたくさん書いている影響もあるかもしれません。クラークは人生を通して科学と宇宙と自然の啓蒙に尽くした人物です。

先にあげた作品群はハードSFには分類されないかもしれませんが、科学技術の究極を描いているという意味でハードを超えた超越的(Transcendental)なSFです。オリックスファンからすればT-SFです。『都市と星』に至っては50年代に書かれた小説でありながら中央コンピュータのデータバンクとVRの世界で遊ぶ若者が描かれているので、もはや神秘です。クラークの三大法則というものがあるのですが、そのうちの一つ「高度に進化した科学は魔法と見分けがつかない」というものがあります。まさにそのことを体現したような研ぎ澄まされたSF作品なのです。アーサー・C・クラークはメンサの会員(めっちゃIQ高い人たち)というのがマニアの中では知られていますが、彼にとってずば抜けた知力は並外れた想像力の付帯物でしかありません。

究極の科学を思考することで、究極の科学が人にもたらす理知の光が作品に満ちています。

それが他のSF作家と唯一一線を画す理由です。

魅力はまだまだ書ききれず、具体的な作品の魅力も書き足りないですがここまで。もし、誰かがアーサー・C・クラークに出会うきっかけにでもなってくれれば恐悦至極です。

 

読んでくれてありがとう。

僕はこう思う。

Taiyo Haze

 

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