最近考えていた哲学的テーマを書きたいと思います。

僕は様々なところでベーシックインカムを支持し、どうすればうまくこの仕組みが機能し、どのようにすれば実現できるのか具体的な方法を思案していました。

この考え方を議論すると人間は競争をするのが自然なあり方だ人間をダメにする、社会主義、共産主義だという反論をうけます。たしかにベーシックインカムという考え方は社会主義的な考え方でしょう。しかし、僕はベーシックインカムは社会主義、共産主義とは根本原理が違うと思うのです。

社会主義、共産主義というのは20世紀初頭マルクス主義から生まれました。共産主義というのが一切の財産を否定し、富を全ての人民で共有し人々の間に階級も貧富の差も、国家機構さえもない平等な社会を目指すというものです。社会主義はその過渡期的な社会体制の事で、財産は一部保有できますが国家に経済は管理され国によって平等な社会を目指すというものです。現在ほとんど多くの国が産業革命以後採用している資本主義の国も年金や医療保険等の社会福祉政策は行なっています。だから世界中ある意味社会主義的国家であるともいると言えます。しかし、どちらも政治的政策、穿った表現をすれば人が人を管理するという方法で成し遂げようとするものです。その結果どうなったかというのはソビエト連邦、共産圏の瓦解、その後国家の荒廃具合の歴史を鑑みればあえてここでわざわざ言及するに及びません。中国は共産主義を掲げる国ですが、とても共産主義の理念を信奉しているとは思えません。どちらかと言えば君主論を説いたマキャベリの名前を冠した世界有数のマキャベリストの国という方が腑に落ちるのではないでしょうか。共産主義という理念さえも共産党の覇権に利用しているように思います。共産党幹部はアメリカに莫大な資産もってるんですから。人民をコントロールするという能力において中国共産党の右にでる組織は未だ嘗てなかったのではないでしょうか。共産主義という理念の元、人権という所有権すら人民は持つ事が許されないのですから。

その歴史を踏まえてベーシックインカムは世界を破壊すると拒絶する人が多いのでしょう。共産主義、社会主義、全体主義この言葉を聞くだけで拒否反応を起こす程のトラウマを世界が抱えているのはわかります。ソビエト、中国を中心とした共産主義革命の犠牲者は1億人を超えるとも言われます。頭の中だけで革命を行うインテリエリート達の革命はいつも過激で犠牲者を産んで終わるのは歴史の理です。こんな事はガンダムの中でも語られている事なのにそんな事も忘れたのか、という事なのです。シャアはアクシズだって地球に落としちゃいますから。

もちろんそんな事は重々承知しています。少なくとも僕は。しかし、同時に今を生きる僕たちには資本主義と自由市場経済による行き過ぎた富の一極集中など、この社会体制の限界とその修正の必要性を感じているのです。この傾向は2000年前後のドットコムバブル近辺からさらに加速し現在に至ります。人類の1%の富がその他の人類を合わせた富より多いというのは流石に異常です。その人が優秀だからと言ってその人の労働価値が普通の人の100億倍もあるなんて事はありえません。どんな支配的は商品も普通の人が消費するから利益を産むわけで普通の人に依存して利益をあげているのですから。このような背景からベーシックインカムという考え方が生まれてくるのは時の必然のように思います。

ここではベーシックインカムの具体的な方法についての議論はしません。

冒頭で僕はベーシックインカムと社会主義、共産主義は根本原理が違うといいました。それは旧来の社会主義、共産主義は人が生み出した人による政治活動によってその理念を達成しようという活動でした。それは産業革命以後急速に発展する科学技術や社会の必要に逆光する不自然なものでした。失敗するのも必然です。しかし今、ベーシックインカムの根底にあるのはテクノロジーの充実とデジタル、IT産業による労働環境の変化なのです。産業革命で資本主義が自然の流れに乗ったように、テクノロジーの充実がベーシックインカムを自然の流れに乗せようとしているのです。それが旧来の社会主義、共産主義と根本原理を異とするところです。もし、ロシア革命が100年遅く今始まったらもしかすると成果をあげていたかもしれません。

デジタル、IT分野において労働に従事する人の数はその収益に大きな影響を与えません。例えば、凡庸なプログラマー100人のチームが作ったプログラムよりも優秀な10人のプログラマーが作ったプログラムの方が何倍もの利益を産みます。もし、収益が同じだったとしても利益を100人で分けるのと10人で分けるのでは給料は10倍違う事になってしまいます。これが現在の社会の労働の基本です。昔より少人数でハイクオリティーのものを、という理念は僕のようなサウンドエンジニアのような末端の仕事をしている人間でも意識させられます。確かに人類がコンピューターの力を借りて労働を行うようになって人件費はスリム化しました。要するに必要な労働人口は少なくなっているのです。しかし、先進国では高齢化社会で人口が減っている国もありますが世界的には爆発的に人口が増え続けています。10数年まえは世界人口50億人と言われていたのが今や75億人になり、100億人になるのも時間の問題です。そして、今後AI、ロボットの技術はさらに加速すると予想される事から従来の労働現場から技術が雇用を奪うというのは避けられない事でしょう。それはメールやSNSの発展によって年賀状の配達数が減るというのと同じ原理です。

だから今後(今すぐというわけではないが)多くの人は労働から収入を得る事が難しくなっていくでしょう。しかし、かといって人類の富が生み出されないわけではないのです。AIやロボットが自動的に生み出して(労働分野で)くれるからです。でも、今の社会体制のままでは一部の権力者、経営者、株主だけが莫大な利益を独占する構造は更に加速します。だから、僕たちはベーシックインカムを真剣に議論しなければいけないのです。

これは単に仕組みや方法論を探るだけの議論ではなく、人間の幸福を哲学し、科学的に幸福を追求しなければいけません。そして、文明の進化に人類の進化も追いつかなければいけないのかもしれません。ベーシックインカムは社会主義、共産主義革命とは袂が全く別のものであるとまず理解する事です。名付けるならばテクノソーシャリズムというべき人類のテクノロジーの進化を基盤にする社会体制です。

僕は人類の進化の過程においてこれは避けて通れない道だと思います。人類の技術の究極はスタートレックに登場するデュプリケーターに行き着きます。これは分子を合成してあらゆるものを作り出す装置です。これによってスタートレックの世界では貨幣経済は衰退しています。全ての食べ物も服も車ですら思いのままに作れるのですから富の所有という概念に価値がなくなるのは理解できます。そして、更に先の究極にはアーサー・C・クラークの「都市と星」に描かれるような肉体さえも自由自在に中央コンピューターから生成し死の概念からも自由になり、遂に「2001年宇宙の旅」のようにアセンションし時空を越える生命となるでしょう。それは僕たちには絵空事の夢物語ですが、人類の文明があと数千年進化を維持出来れば必ずやってくる未来です。デュプリケーター が出来たら本当の共産主義革命です。

ですから、ベーシックインカムは遠い未来へ続く大局感を持った制度としてデザインし議論すべきです。

最後に僕の主義とベーシックインカムに対する考えを好き放題に記して終わりにしましょう。

僕は基本的に超自由主義者です。ハイパーリベラル。資本主義だろうが社会主義だろうが共産主義だろうが所詮政治だと思っています。政治が世界を変えた事なんて有史以来一回もないのです。共産主義革命のような悪く変える場合は除いて。政治の歴史はすべて欺瞞と腐敗の歴史です。学生時代歴史を勉強する上でその事に確信を深め、そこから逆算して今の政治をみるという具合がちょうど良く見えます。

今まで世界を変え、人類を進化させてきたのは唯一テクノロジーだけです。それは映画「2001年宇宙の旅」の冒頭、類人猿が石を持って立ち上がった時のような、また火を発見し、鉄を発見し、火薬、羅針盤、蒸気機関、電気、電話、IC、宇宙開発、テレビ、インターネット、スマホと脈々と人類進化の転換点には政治ではなくテクノロジーのイノベーションがあったのです。文明に則した制度、政治が王政であり古代封建制度であり資本主義、民主主義であったのではないでしょうか。

またこれは常識という概念にも同じような事が言えます。100年前の常識は今では通用しませんし、今の常識は100年後は絶対通用しません。今、競争は社会の発展の為には必要なものと礼賛されています。それも出来るだけフラットな競争です。しかし、それは今の社会に当てはまるのでしょうか? これは産業革命以後の資本主義の根本理念だと思います。共産主義、社会主義国で競争が無くなった国はことごとく衰退しました。その反面教師からもこのダーウィンの適者生存的な理念は今でも強く信じられています。しかし、それは思うに20世紀の新しい技術が次々と生まれていた産業的な背景としたから競争は圧倒的に是と出来たのではないでしょうか。21世紀を迎え僕たちが思うほど新しいテクノロジーは生まれていません。今生まれているのは新しいサービスだけです。10年前と比較するとすでにスマホもSNSもありましたし、テクノロジーの躍進はほとんどなく20世紀に比べれば停滞しているといえます。停滞の中での競争は利益を削ぎ落として行きます。つまりもう現代では目先の競争は僕たちを疲弊させるばかりで創造に向かわせないという事です。この辺りの事は先の記事でも紹介したピーター・ティールの「ゼロ・トゥー・ワン」で華麗に説明されていました。是非そちらを参考にしてください。

競争の意味を労働と置き換える事も可能です。20世紀の文化では苦役に耐え労働をし競争に勝つ事で十分な利益を生む事が出来ました。だからそれが美徳となったのです。歯を食いしばってあくせく働く20世紀的美徳は過去の話です。労働はこれからAI、ロボットに任せる時代になります。これからの僕たちの仕事は創造的である事です。それにはリスクを取らなくてはいけません。全ての人が抜きん出て創造的である事は不可能です。でも人類全体の仕事として創造的にならなくては未来はありません。人類全体で創造にトライする為に僕はベーシックインカムの仕組みは必要なのではないかと思います。

おそらく、人類の数割はベーシックインカムで怠惰な人生を過ごして終わるでしょう。1日ソシャゲして一生を終える事だって出来るのですから。しかし、人間は他人に認めてもらう事に一番快楽を感じる生き物でもあります。ホームラン打っても誰も褒めてくれない野球なんて誰もしたがらないでしょう。多くの人は創造的である事を望むようになるのではないでしょうか。それがやがて新たな労働市場も生み出すでしょう。

僕はベーシックインカムをサウンドエンジニアでいうところのコンプレッサー的な仕組みだと思っています。僕らの言うコンプレッサーとは、ある大きな音量の音に対しあるレベルにスレッショルド (threshold)を設定し、それ以上のレベルの音を圧縮して音が大きくなりすぎるのを防ぎ(音の大小の差をなくす)、また圧縮する事で強い音を作り出す装置の事です。しかし、大きな音を圧縮してレベルを落とすわけですから音は小さくなります。そこでゲイン(メイクアップゲイン)というボリュームで下がった音量レベルを上げてあげます。そうする事で全体で濃密な高いレベルの音に変化するのです。これをベーシックインカムに当てはめれば音量は収益、富であり、メイクアップゲインがベーシックインカム(給付額)にあたります。コンプレッサーは強くかけすぎるとダイナミックスレンジを失い自然さと心地よさを奪います。一瞬聞くぶんにはいいですがこの音は疲れます。このさじ加減は音量によりますのでそこをコントロールしなければいけません。

この例は少し一般の人にはわかりにくかもしれませんが、社会主義や共産主義のような過激なものにしなくてもうまくやれるようなイメージが出来ます。共産主義? 社会主義? 今はありえない。100年後議論しましょう。現代における共産主義、社会主義革命は反対です。

また機会があればベーシックインカムやこの辺りの事は記事にしたいと思います。

 

読んでくれてありがとう。

僕はこう思う。

Taiyo Haze

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