2021年、今読むべきSF小説について書きたいと思います。

『すばらしい新世界』オルダス・ハクスリー著

ジョージ・オーウェルの『1984』と並びディストピアSFの祖とされる小説です。ディストピア小説というだけで世界観、雰囲気はなんとなく想像できるほど一般的なものになった現代ですが、「1984」は1949年の出版に対しこの小説はなんと1932年に出版されています。日本では五・一五事件、ヨーロッパではナチスが台頭した年でした。「1984」も「すばらしい新世界」も世界的に台頭してきた社会主義、共産主義、全体主義に対する脅威と恐怖に包まれていた時代に生まれた作品なのです。そういう時代背景からこのような作品が生まれたのは必然だったのでしょう。ちなみにジョージ・オーウェルはオルダス・ハクスリーからイートン校在学時にフランス語を学びました。賢人たちは意外なところで繋がっているものです。

社会主義、共産主義、全体主義、イデオロギーへの傾倒。こういうと今を生きる僕たちには関係がないような、厳つい哲学や政経の教科書の世界の話と思うかもしれません。そんなもの一体どこに存在するのかと疑問に思うかもしれません。もしくは今楽しいから大きい声では言えないけれど「そんな事どうでもいい」、か。しかし、一方自由が保証されと繁栄が謳われているこの現代に生きる僕たちも旧世紀と同じように何故か窮屈さを感じているのも事実です。僕たちは正しい振る舞い方を知っている(つもり)。でも、僕たちは自室のベッドでは背徳的なエロ動画や嫌いな奴らを論破するロジックを探し、エロ、グロ、ナンセンスに満ちたWEBを彷徨い続ける。夜が明ければまた正しい振る舞いを心がけうまく生きていく。時に夜の徘徊が昼間に芽を出して失敗、恥をかく。確かに昔のより効率的に何かを行なっているけれど、日々を満たす悦びの量は果たして増えているのであろうか? 昔のように保守的な堅苦しい慣習はどんどんなくなっているのに現代はより窮屈です。

実は今こそテクノロジーへの過信、SNSによるコマーシャリズムの高揚とそれらによる安易な合理主義、見えない全体主義、イデオロギーの支配と危機に対峙している時なのではないかと僕は感じています。もしこれが、例えば中国共産党のプロパガンダによる共産主義的閉塞感ならそんな救いはない。シンプルにそれを拒否すれば全てが解決する。テクノロジーが進化する事で人間が社会主義的、全体主義的になるのは根源的な人間の性質に由来すると思うのです。僕たちはある程度のテクノロジーを持った時から、テクノロジーと人の幸福を付き合わせ真摯に考察していかなければいけないのです。

さて、僕の感傷などさておき本の内容に触れていきましょう。あらすじ的な事は世の中にレビューが溢れているので割愛します。

ざっくり今風の言葉で言うと人類を遺伝子操作して(作品の言葉で言えば受精卵の時の条件付け)人工子宮から役割毎の人間を作る。脳が幸せに感じる事もコントロールできるので単純労働に従事したって文句もなく幸せに感じる。人類は老いからも解放され60くらいなったらさっくり死ぬ。死への恐怖、嫌悪も条件付けで無くされているからコンプレックスも不安もなくあらゆる問題が取り除かれた世界。完全な安定を手に入れた世界、まさにユートピアです。DNAの存在が発見されたのは1960年代ですから、このような生物学的な示唆を1930年代に考えていたとはハクスリーのとんでもないイマジネーションに驚かされます。「1984」と大きく違うのはビッグブラザーの存在やダブルシンク、言葉狩りのようにそんなに楽しそうではない世界のユートピアではなく、それもありかな、と思うようなユートピアが描かれている事です。

フリーセックスや娯楽、ソーマというドラッグを飲めばすぐにハッピーでアゲアゲな世界に浸れます(もちろん安全、国から配られる)。全てが合理的にデザインされているので適当に仕事をこなし、仕事が終わればセックスや娯楽に興じ、ソーマを飲んで全てを忘れて幸せいっぱいに次の日を迎えます。ただ、失ったものがあります。シェイクスピアに代表される旧文化の芸術と科学発展です。シェイクスピアなどの芸術は不安定の上に成立している為この文明が発展する過程で禁書となりなくなりました。また科学の発展は破壊を孕んでいるから隔離された島で行われ数人の統制官によって管理され本物の科学は制限されています。

これによって人類は進化と発展を代償に安定を手に入れたのです。娯楽からは物語が消え、エロやナンセンスの直情的なものばかりになり、心揺さぶられる感情を捨て、ロックを聞いた時のように滾る魂の充足も捨てる事になります。

このユートピアパラドックスはより現代的なものと思います。

合理主義とプラグマティズムが全盛の現代において効率と収益性こそが崇拝の対象であり、それ以外に価値を求めたところでお金が手に入らなければ立ち行かなくなるのでいつかそのイデオロギー(ここでは敢えてこう言おう)に従う事になります。一番の効率は安定です。余計な事を言ったり、想定外の事をする人間はその妨げになるので僕たちはより常識と正しい振る舞いを重視するようになります。効率社会のやがて行き着く先は人類を遺伝子操作や後付けのコンピューターによって最適化する事です。それこそがオルダス・ハクスリーの「すばらしい新世界」の小説に描かれている文明です。

つまり所詮人間の幸せなんて脳ミソのホルモンバランスだろ、という世界です。

人類が進化を止めた時どうなるのか、僕は危惧があります。アーサー・C・クラークの「都市と星」に描かれているような進化を行きつくしたような世界の話なら僕はいつかそうなる、と思っています。しかし、オルダス・ハクスリーの描く文明の進化は全然その足元にも達していない文明です。僕たちの文明もです。実際この20年、特にこの10年のテクノロジーの進化の速度は鈍化していると思います。WEB、VR、ドローン、スマホテクノロジーとイノベーションの象徴と言われるものは全て前世紀の技術をブラッシュアップしたものにすぎません。1960年頃の科学者がタイムスリップして現代に来た時、びっくりしても理解出来ないものは少ないでしょう。このようなテクノロジーの停滞と共にSF文芸も衰退の一途を辿っているので寂しい限りです。

ジョージ・オーウェルの「1984」はビッグブラザーやダブルシンクなどのセンセーショナルな設定からアップルのCMに起用されたり、村上春樹が「IQ84」を書いたりした為(今でいうメディアミックス?w)によりポピュラーな存在になりました。倒すべき巨大な象徴としてビッグブラザー は非常にわかりやすいですし、冷戦下の状況ではよりマッチしていました。「1984」が世界に与えた影響は大きく、ジョージ・オーウェルが望んだ 作品としての役割を十二分に果たしたのではないでしょうか。ビッグブラザー的な思想統制は民主主義国家ではネタが割れてしまっているのでもう通用しません。しかし、ベルリンの壁が崩壊して30年程が経ち世界は違う姿を見せ初めています。僕たちは欧米列強と戦ってるわけでも共産主義諸国と戦いで危機に瀕しているわけでもありません。たしかに中国共産党の覇権主義には危機感を感じますが、中国の多くの人民は豊かな生活を送れているので国家が成立しているのでしょう。冷戦下のソビエトや中国とは状況が大きく違います。でも、僕たちは何かに不安を感じ閉塞感を感じています。ハクスリーの小説の中の人類とは全然違っています。

僕たちは何と戦っているのか、どうやって戦うべきなのか全てが漠然としているのです。マスメディアはクソだ、たしかに。じゃあ、誰と何と戦えばその状況が変わるのか? どのような手段で? 法廷闘争か? そんなわけない。でも、生活に満足はしてないもののリスクを犯すほどの不満もない。事を荒立てる必要もないだろう、しかし状況は悪くなっている気がする。でも、そこまで悪い事が起きてるわけではない。自分の給料は少ないがちゃんと稼いでる大金持ちはいる。自分がそうでないだけだ。だから今の秩序を乱す事の方が悪い事だ。でも、この不安と不満はいつまでも消えない、、、。

この曖昧模糊とした状況下で僕たちが対峙する根源的なユートピアパラドックスを考えるのに貴重な示唆を与えてくれるのは今、「1984」というよりハクスリーの「すばらしい新世界」なのです。長くなったのでここまで。

というわけで今読むべきSF小説、「すばらしい新世界」オルダス・ハクスリーを紹介しました。

 

国敗れて山河あり

 

読んでくれてありがとう。

僕はこう思う。

Taiyo Haze


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