色々ありまして久々になってしまいましたが今回は小難しい話です。

2022年現在の世相は日本国内を見ても、世界に視点を向けても分断、混乱、複雑化の様相が強くなっています。テクノロジー、社会科学への盲信、エリート層の欲望の暴走とそれを支える文化。その中で力の均衡が崩れ世界は調和を失った状態。それが現在の分断、カオスの状態でしょう。ドットコムバブル以来、インターネットが普及し、スマホ、SNSが生まれて10数年。たったこれだけの時間でとてつもなく大きな人類の岐路へ辿り着いてしまいました。これは中世においての宗教革命や産業革命、共産主義革命に匹敵する人類の大きなジレンマです。過去においてこうなると自分の予想は当たっていたという人たちは数多くいますが、その真偽如何に問わず誰もがこの時代に翻弄される存在でしかないのには変わりありません。そもそも未来予想など完璧に当たらねば何の意味もない代物なのです。それ以外は可能性を探る単なる思考実験の一部でしかありません。占い師がたまに未来当てる確率と大した違いがないものと僕は考えています。どんな知的巨人も今吹く風が辿り着く場所へ先回りする事は出来ません。

このような現代のアーティストと社会について、特に鼻につくWoke(意識高い系)アーティストについて考えていた事を数回に渡って書きたいと思います。

アーティストとインフルエンサーの違い

頭の中が何がなんだかよくわからないうちにとにかく良くない事ばかりが起こっているように見え、実際良くない事が数えきれない程起こっています。政治家が当てにならないのは知っていたつもりだけれど、想像以上に無能で強欲で金と権力に魂を売った人間しかいない事に愕然としています。

さて、こんな混沌とした社会において光となり、希望となるべき存在がアーティストであると思います。もちろん政治家や経済、文化人などと違い当事者となって前線で役に立つ存在ではないけれど、精神的な拠り所、心の安定を担う重要な存在です。それはアーティストが功利的な俗世間と離れた場所にいて、政治家や文化人とは違った言葉、表現方法によって超然としたメッセージを伝えられるからでしょう。ピカソの「ゲルニカ」、ジョンレノンの「イマジン」などを例にすれば理解しやすいのではないでしょうか?

しかし今、一部のファンの為を超えた世界の希望となるようなアーティストは見当たりません。人々はアーティストよりお気に入りのYouTuberやSNS上のインフルエンサーに心の拠り所を求めるようになっています。僕自身もYouTubeで情報を集めたり、SNSで勇気付けられる言葉を意識的、無意識的に探しています。

僕はこの事に少し危うさを感じる事があります。それは彼らと僕らは同じ産業、利益を共有しているという所です。

彼らは再生数や自らのイデオロギーを達成する為、僕たちに迎合した言葉、表現を駆使して人気を勝ち取り、その事で利益を得ます。それは僕たちがこっちのスーパーの方がケチャップが安い、高いと奔走するのと変わりはありません。インフルエンサーの言論は目の前の功利によって左右される可能性が僕たちと同じようにあります。収入を失ってまで自らの信念を通す、という人は少ないでしょう。上手い弁舌で損切りを行なってどんどん言論を変更していくインフルエンサーの姿を度々目にします。インフルエンサーは利益の為に影響力を持つ事を目的としていて、アーティストは作品の評価、利益によって影響力を持つという事です。

アーティストは元来功利的な存在ではありません。芸術とはどんな名曲も名画も無くても人間は生きていく事は可能ですし、四六時中好きなアートや作品の事を考えているわけでもありません。ですから、芸術を生業にしている芸術家というのは我々のいる経済システム、社会からある程度独立して生きているとも言えます。それ故に脆弱であるとも言えるのですが、この独立性こそが芸術家の最大の強みでもあります。

彼らは彼ら自身の言葉で、表現でそのイマジネーション、思考を表現します。これこそがアーティストとインフルエンサーの違いです。

時代錯誤の左翼と右翼というカテゴリー

ちょっとここで言葉の定義を確認しましょう。

左翼とは元来、自由、平等目指す勢力でした。対して右翼とは伝統的な価値観、それはすなわち封建的な王政や地主制のような主従関係を中心に置く社会の価値観を守るという勢力の事でした。しかし、民主主義の発展と共に封建的な社会も現代からは無くなっていきました。現代においては自由と平等は左でなく中心に置かれるようになりました。その為、現代では右翼という意味は日本で言えば「天皇陛下絶対」を掲げ軍歌を大音量で鳴らし軍服を着ている集団、EU圏ではナチスの権威を最高とするネオナチのような極右という極端な形で残っています。また左翼も究極のイデオロギー的平等である共産主義や社会正義(ポリティカルコレクト)の盲信や社会活動絶対の極左、という極端な形のみが残るようになりました。

もはや右翼、左翼という言葉は、そのイデオロギーを精確に表現出来ない、時代遅れのものになっているのではないか、と僕は考えます。右翼、という意味の中に保守、伝統的な価値観や神の概念を大事にする人々が都合よく押し込められています。そして左翼という言葉の中から、自由、平等、中道を信条とするリベラルが弾き出されているように思います。一般大衆のほとんど多くの人はリバタリアン的(自由主義)だと思うのですが、政治的な意見を述べる場ではリバタリアン政治家は影響力がない為左翼に入れられてしまう事が多いと思われます。

右に行き過ぎても左に行き過ぎてもどちらにも自由と平等はありません。

インフルエンサー化するアーティスト

芸術家とは社会から自由な存在であり、自由であれば当然平等に行き着きます。字義的にはリバタリアンの思想に一番マッチするのですが、先に述べた通りリバタリアンは影響力を持ちませんので何かアクションを起こし、影響力を持ちたいと思った時左翼の力を借りる事になります。ですから芸術家が左翼的なのは当然です。ひと昔前ではリベラル、左翼の中のリベラルという表現の方がしっくりきていたように思います。

さて、とはいえの話です。先にも述べた通り、気概のあるアーティストは見当たりません。最近のアーティストはと言えばSNSを通して所謂意識高い系社会活動を宣伝したり、自らのイデオロギーを高らかに宣言するばかりに見えます。時に現実離れして、ただのセレブの戯言のように聞こえ鼻につきます。

なぜこのようになってしまっているのでしょうか? これではIYI(知的バカ)のエリート左翼や軽薄なインフルエンサーと変わらなくなっています。

それはSNSとアーティストのインフルエンサー化が大きく関係しているように思います。

SNSはレコードやキャンバスと違って表現ツールではなくコミュケーションツールですので、そこでは大衆の表現方法にが使用されます。一部では詩などを載せたりする人もいますが、一般的に創作物の宣伝には使われますがほんちゃんを載せる事はありません。アーティストが自分たちと同じ言葉、ステージで語ったり、写真を投稿する事が人気の要因です。YouTubeのスパチャでお金を払えば自分のコメントを読んでもらえたり、ツイッターでも直接返信が返ってくることがあります。ファンにとってこれほど嬉しい事はないでしょう。また、アーティスト側からしてもいいねや自分の言った言葉に対し賛同をもらう事はこの上ないエクスタシーです。射精並みに気持ちいい、なんて研究論文も見た事があります。その誘惑に負けずにファンに迎合しない自由な表現をするのは至難の業です。ましてYouTubeのスパチャなどはアーティストの貴重な収入源になっています。

時代によってアーティストの形が変わる事は悪い事ではありませんが、インフルエンサー化する事にはアーティストにとっては弊害も大きいように思います。まず、生活基盤が我々と同じステージに立つ事になります。それはどっちが得でどちらが得でないかという功利的な世界です。King nuとRadwimpsどっちが得か? はたまたMr.childrenにすべきか? 矢沢永吉にすべきか? という潜在的な判断の世界です。そして、インフルエンサーとして生計を立てるには世論に乗るのが手っ取り早く有効です。ブッダの意見にもアンチは湧くと思いますが、多数派の意見についた方がインフルエンサーは得です。多数派の意見の範疇の中でどれだけ違う風な言い回し、違うような同じ視点を提供できるかが、フォロワーの人気を集める為に必要になってきます。後に真実となるようなマイノリティーの考えを発信していては商売上がったりです。真実になった頃うまく乗っかればいいのがインフルエンサーという生き方です。

インフルエンサーは詭弁紛い、すれすれの言説で世間の注目を引き、社会心理学、力の原理を使って巧みにアクセス数を稼ぎ利益を得ます。必要なのはスマートなルックス、イメージ、そしてうまいくっちゃべりです。いろんな要素があると言われますが、口下手なインフルエンサーは見た事がありません。弁がたつ人間でないと無理です。これはアーティストが得意な右脳的な、というより左脳的な論理構築能力ですのでアーティストにとってはかなり不利な戦場です。

アーティストとメディア

それではアーティストにインフルエンサーは無理なのでは? と思うかもしれませんがとっておきの武器が一つ残されています。イメージ戦略です。これは主にメディアと共に行います。詳しい手法は省きますが皆知ってる、電通、博報堂が得意な手法です。そして、メディアはメディアで独立して存在しません。メディアと広告は同義といっていいでしょう。広告費なしで存在するメディアはありません。広告費をいっぱい出す企業のアジェンダ(※計画とかいう意味)こそがメディアを支配するのは当然の事でしょう。昨今のメディアがクソ左翼化しているのは企業、スポンサーのアジェンダがクソ左翼化していると言う事です。

ですからそのアジェンダに沿ってイメージ戦略を行いインフルエンサー化すればアーティストは当然クソ左翼化していくわけです。元々アーティスト業界はメディアと近い業界ですので両者手慣れたもんです。それをエンターテイナーと呼ぶかアーティストと呼ぶかは別として。

元々意識高い系ですからWoke企業、活動家とは親和性が高くなります。言葉巧みなスポンサー側にアーティストがうまく使われている場合が多いように思いますが、アーティストも後からあの時は実は、と言っても後の祭りです。

ものすごく長くなりそうなので話はすごい途中ですがw、今回はこの辺にしておきます。また近いうちに続きを書きたいと思います。アーティストの牙と左翼、共産主義についてです。また詮無い事を書いてしまった事よ。

 

 

読んでくれてありがとう。

僕はこう思う。

Taiyo Haze

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