最近ブログ投稿してなかったですね。

少し音響の事に関して大作のブログを用意していてそれについての勉強や、音楽制作もしていたので少し間が空きました。さすがに作曲とかし始めると他のことと同時進行は難しいですね。出来るだけ詩の一つでも投稿できればと思うのですが、頑張ります。

朝から珈琲を淹れてバター珈琲にして飲んだり、メジャー中継みたり新しいプラグインシンセを研究してみたりいつも通りの毎日を過ごしているわけですが、正しい事ってなんだろうなぁ、って考えています。

今の時代情報が溢れかえっていますから、ネットを調べればどんな事にもこうすべきみたいなノウハウが出てきます。「実はこうだという論文があります」という事を言ってるだけのYouTubeなんかもよく見ています。一人「ホンマでっか!?TV」みたいな感じですよね。それは優良な情報なので価値はあると思いますが、だいたい結論は、ある特定の場合の時はそれが当てはまる、人それぞれ当てはまるパターンがある、のような結局は薄い原則みたいなもので、タイトルの印象ほど有益なものでない事も多いです。逆に都合よく科学的なデータをつまみ食いしてるきらいもあるので注意は必要かな、と思います。単に極端な環境下のデータを出してきて、常識と逆のことを言う逆張りタイプの情報もあります。例えば実はコーヒーは体に悪い、というタイトルで、よくよく見てみると毎日珈琲を三杯以上飲む人は云々、みたいなやつです。そもそも三杯はマグカップ三杯? ティーカップ? みたいなツッコミどころもあるのですが、結論として飲み過ぎには注意しましょうみたいな結論でしたw この辺はTVのCMと大した違いはないですねw  もしくは憲法改悪反対ってやつですね。そりゃ悪くなるのわかってたら反対だろ。コロナの報道においてデータや数字をいかに正しく理解するか、と言う事も考えられるようになってきましたが道は果てしないなぁ、と感じます。

結局、すべての環境下で正しい事なんて存在しないのではないかと思います。相対性理論だってある条件下では理論通りの結果は得られません。正しいという概念自体がかなり人間の恣意的な感覚のものです。キリスト教圏とイスラム圏、仏教圏、ヒンドゥー教圏、土着宗教圏では正しいという感覚はかなり違うでしょう。

人はそれぞれ正しいと思う事をすべきだと思います。しかし、正しい事が絶対だという事はあり得ません。なぜなら、正しいという概念には間違い、正しくない事があるという相対的な領域の話だからです。池と海は似ているようですが、池は海とは同じ領域にはないのと同じです。ですので、正しいは常にアップデートしなければいけません。

僕は自分が正しい、罪だと思う事はしないというポリシーがありますが、行動原理としては明らかに間違った事をしないという事を強く意識します。うまいやり方、正しいやり方は雨後筍のようにでてきます。でもこれだけは外してはいけないというのがあるはずです。音の領域なら不快な音を出さないとか。倫理なら暴力、嘘、裏切り、略奪は絶対の悪でしょう。正しい事をする為にこのような悪を犯さなければいけないのであれば、それは改善の余地のある正しい事という事なのでしょう。

まぁ、思索は尽きませんね。とりとめのないままにw

 

読んでくれてありがとう。

僕はこう思う。

Taiyo Haze

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