コロナ以前もそうであったと思うし、十年ほど前から世界は二つに別れていく、なんてことも方々で言われていたと記憶している。かつては軍歌を爆音で鳴らす右翼の街宣車が通る時に、反意語としてしか意識していなかった”左翼”なんて言葉もよく聞くようになった。たしかに世の中を騒がせているのはマスコミ、大企業、活動家のいわゆる”左翼”と呼ばれる人のようにも思う。そしてその”左翼”と呼ばれる人と戦っているのが”保守”と呼ばれる人達だ。

”左翼”Vs”保守”

左翼の対抗なのに右翼じゃないのかい? とツッコミを入れたくなるが”右翼”は街宣車乗って軍歌を爆音で鳴らすような極右を意味するから敬遠されるようだ。ようするに”保守”と呼ばれる人は真ん中から右寄りの人を言うようだ。DAWのPanパラメーターで言えばR10~R75くらいのあたりの人たち。一方”左翼”と呼ばれる人には共産主義革命を目論む共産党、その手前の社会主義者、ビーガン、環境問題活動家等の極左を含んでいる。DAWのPanパラメーターでいうとL3〜L100あたりまで幅広く左寄りの人を含む。

それでは自分はどこのあたりにいるのだろうか? と考える。僕はいつかテクノロジーが完璧な社会主義をもたらすだろうと考えるテクノソーシャリストではあり、進化することが一番大事と考える一種の進歩主義者ではあるけれど、時の磨耗に打ち勝ってきた伝統こそ尊重するし、新しいものがいいものだとも思っていないし理屈を屁理屈で洗う似非知識人たちこそを忌み嫌っている。社会主義は心配しなくとも人類が進化の道を進み続ければいつか辿り着くと思っている。保守的であろうとする本能的な自分と左翼的に進歩を求める顕在意識的な進歩のバランスを取るリベラルでありたいと思っている。

世界で分断が起きているのは確かなように思う。それは上記のPanパラメーターを例にすれば中道、リベラルと呼ばれる人がL2~R9くらいしかいなくなったという事に原因があるのではないかと思われる。我々は社会において選択を迫られる。もしくは無関心でいるか。しかし、いくら無関心でいても無関心の人々は多数派の作る世界に自動的に組み込まれるしかない。無関心と呼ばれる層は多数派と同じ事なのである。これが現代の仕組みの一端である。

しかし、これはどちらかが正しいからどちらかが駆逐されて終わる話ではない。人類の、はたまたこの宇宙の二項対立は終わる事はない。たとえ左翼か右翼が駆逐されてもまた新たな二項対立は生まれるだろう。人類が文明化して以来絶えず正反対のイデオロギーが対立してきたし、光と陰、重力と反重力、宇宙に目をやってもいたるところに二項対立は存在する。この世界はそういうものらしい。

たとえ世界がそうであっても僕たちの暮らしがギスギスしたり調和を欠いたものになっては困る。僕たちは明日に向けて進化の道を歩まなければいけない。今日の状況をLet it beと見過ごすわけにはいかない。

今の対立と分断は一見すると奇妙に見える。左翼と保守と明らかに違うベクトルの混じったものが対立構造を成している。なにか欺瞞の匂いがする。では一体我々の誰と誰が対立しているのだろう? アメリカと中国? バイデンとトランプ? 自民党と野党? DJとメタラー? だが、アメリカの中にも親中派はいるし中国の中にも今の体制が気に入ってない勢力もいるだろう。DJとメタラーは生息地が違うので相入れないにしても対立はない。

意見の違い、相入れない人間なんていうのはどんな人にも星の数ほどいるけれど、組んず解れつしていくのが人間の社会というものだ。保守、左翼、右翼、リベラル、親中、親米、愛国者、日本人、アメリカ人、中国人、ロシア人、様々なレッテルを互いに張り合い、自らにも貼って人は誰しもが生きている。意見が違うことなんて当たり前。皆の意見が同じだった時代なんて古今東西ないだろう。今感じている危機感と分断はこのレッテルの対立の中にはないだろう。しかし、今では破壊的に分断されて常に我々は何かと戦っている。これは何だ? 何かの陰謀によって世界が分断されているのなら話は単純だ。

自民党や共和党の中に左翼の王様親中派が沢山いて、共産主義者が私腹を肥やして豪奢な生活をするなんて事は世界にはざらだ。このレッテルの薄皮を剥がなくては僕たちは翻弄されるままになるだろう。

話が無駄に長くなるので僕の結論だけ言おう。

僕は誰と、何と対立しているのか? それはインテリマフィア(マフィアは血を血で洗い、インテリマフィアは理屈を屁理屈で洗う)に蔓延るマキャベリストと程度は問わず当たり前の心と道徳を持つ人間の対立である。

インテリマフィア、マキャベリストという言葉を使った。これは手段を選ばない利益至上主義、下衆い言い方をすれば金に魂を売った連中の事である。だから中国共産党だろうが、アメリカ共和党だろうが自民党、コートジボアールの政治政党に属していようがそのレッテルに大きな意味はない。その薄皮を剥いでその人間が金に魂を売った人間なのかどうかがもっとも重要なポイントである。保守、左翼というレッテルにあまり振り回されない方がいい。

このような連中が度を越して増長している時代が現代という時代なのではないと思う。

彼らの望む世界は一部のエリートのその他大勢の衆愚の社会である。それが最も利益を最大化させる。そのような世界では芸術ですら邪魔な世界となるだろう。ジョージ・オーウェルの「1984」よりオルダス・ハクスリーの「素晴らしき新世界」のような世界だ。人々が幸せだったらいいじゃないか。たとえそれが脳みそを騙した快楽だとしても同じ事。僕はそう思わないけれど理屈史上主義ならそうとも言える。

僕たち人間はより大きな幸福に流れていく生き物。将来人類が功利的に生きるより幸せな人生を見つけることが出来たなら、この分断も小難しい歴史教科書の数行に纏められてしまうだろう。その時この道徳や文化が残っているかわからないけれど僕はこの時代のすべてを愛している。

詮無いこと書いてしまいました。

 

読んでくれてありがとう。

僕はこう思う。

Taiyo Haze

 

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